何人殺されれば犯罪はテロになるのだろう?
どこで事件が起こればテロになるのだろうか?
どの命の光が消えればテロといわれるのだろうか?
パリ現地の13日に起きたテロ。事件の数時間後にイスラム国が声明を発表したとニュースでみた。129人の尊い命が一瞬にして奪われたこの事件。
CNNやBBCのウェブサイトにアクセスするとホームページ一面がパリのテロの記事で埋まっている。
フェースブック、ツイッター、インスタグラムを見ても#PrayForParisというハッシュタグが使われていたりプロフィール画像をフランス国旗の青、赤、白に変えている人を多く見る。
私も何人か友達が今フランスやベルギーに行っているので心配だ。巻き込まれていないことだけを願っている。でも同時に偶然金曜日の夜パリに居て偶然襲撃されたエリアにいた人たち。なにも知らず、なにが起こっているか理解する前には武装し、銃を持っている人に打たれてしまったという人がほとんどだろう。
偶然私の知り合いは巻き込まれていなかったみたいだが、私は考えようと思ってもどれだけ恐怖なのかも想像がつかない。
でもこの事件の前日の12日にレバノンのベイルートで43人がテロによって亡くなっているのを知っているだろうか?他にも13日にイラクのバグダッドで爆弾により19人の犠牲者が出ている。
正直テロは毎日どこかしらで起こっていると言っても過言ではないと思う。そのほとんどが日々起こる犯罪、災害のニュースや、芸能ニュースに埋もれて地球の反対側にいる人に届かない。
もちろん残念なことに今回のパリのテロの犠牲者は129人とびっくりするくらい多い。そしてファッションの街、恋の街、食の街ともいわれ観光都市のパリで起こったテロ。だからメディアが大きく取り上げるのはわかる。でもその裏で起こっていたベイルートのテロやバグダッドの爆撃はどうなるのだろうか?この2つの事件でなくなった計62人の人はどうなるのだろうか?
CNNではパリの襲撃でなくなった人たちについて書かれている記事があがっている。カリフォルニアの大学生のこと、イギリス人男性のこと…亡くなった人々にはそれぞれのストーリーがあった。私やアナタが生きている人生にストーリーがあるのと同じように。こうやって一瞬で消えてしまった彼らの命のストーリーを知れるのは本当に光栄なことだと思う。でもその反面ベイルートとバグダッドで亡くなった人たちのストーリーはなぜ伝えられないのだろうか?
やっぱり大手のメディアが報道するのは犠牲者の数が多い事件だけなのだろうか?
私にはメディアのことはほとんど分からない。でも読者としていろいろな事件の報道をみていて変だなと思うことは多々ある。
何人殺されれば犯罪はテロになるのだろう?
どこで事件が起こればテロになるのだろうか?
どの命の光が消えればテロといわれるのだろうか?
何人、どこで、誰が殺されればメディアは大々的に取り上げるのだろうか?
もしかしたら画面越しにみている私たちにも問題があるのかもしれない。もっとアメリカ、ヨーロッパ、先進国だけで起こっている事件だけでなく発展途上国や中東で起きていることにも目を向けなければいけないと思う。
犠牲者全員の「ストーリー」を知るのは難しいかもしれないが、パリだけでなく、他にもテロによって奪われている命があるということは知っておかなければいけないと私は思う。「心にとめておく」、「思う」、「祈る」。これはどこにいるだれも出来ることだ。
このテロで亡くなった方だがにはご冥福をお祈りします。そして犠牲者のご家族には心からお悔やみ申し上げます。
いまこうやって生きていることは当たり前のことでは無いということにまた気が付かされた。
こういった時こそ世界中の人が一つになり祈り、今後どうしたらこういった事件を防げるか考えなければいけないのだろう。世界のために祈り、平和のために祈る。
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