【Throwback 2015】人間関係と人脈とコネクション

Sakieとちょっと話し私も今年を振り返るポストを週一で4回書いていくことにした。昨日Sakieは勉強のことについて書いていたが、私の最初のポストは人間関係について書こうと思う。

人間関係って大人になるにつれてどんどんややこしくなっていくと思う。でも同時に努力をすればどんどん広がっていくのでやっぱり楽しい。

私にとって2015年は人間関係に悩んだ年でもあり、恵まれた年でもある。

今年の始まりはずっと仲良く、一生友人として付き合っていくのだろうと思った人との関係にひびが入ってしまった。私も3年生の後期ということで、卒業後のことを考えてたり、テスト勉強をしていたりとコミュニケーションがほとんどなかった。そこの子とはルームメイトだったんだけど、いつしか「おはよう」、「おやすみ」も言わなくなって同じ家に住んでいてベッドルームも共有しているというのに一言も言葉をかわさなくなっていった。

私自信も配慮しきれずさりげないことで彼女を傷つけたのだろうと思う。でもこれっていうことが思いつかなかったし、夜ベッドで何度もなにか悪いことをしたのかと記憶を辿っている自分がいた。基本的に思ったことはすぐ言う派の私。彼女にもちょっと話そうと呼びかけ話すことになった。

こんなギクシャクした関係は3年生の前期からすでに始まっていたので、私自身も耐えられなくなっていたのかもしれない。初めて他人の前で号泣した。いろいろと自分の気持ちを伝えたら我慢できなくなり過呼吸になるぐらい泣いてしまった。正直私は「他人の前で泣く=弱みをみせる」と思っていたので今までどんなに悔しくても辛くても我慢していた。と言うかあんまり悔しくて泣くとか、傷ついて泣くということはない。ある程度まで悔しさや傷ついた気持ちが達すると多分シャットダウンするタイプなんだと思う。自己防衛?

彼女とはその後夏休みになり全くやり取りをせず4年生の前期が始まってすぐもあまり会話はなかった。でも今はいい方向に行きつつある。だから本当につらい思いもしたし、やけくそになりそうになったが結果オーライ。辛かったが、それと同時に人間関係の難しさも学んだ。多分私は今まで人間関係に恵まれすぎていたのかもしれない。ちょっぴり大人になった気がする(って年齢はもういい大人なんだけど・・・)

他には夏の間に多くの出会いがあった。今年の夏は「国境なき医師団」でインターンシップをしていた。世界の僻地や、医療機関のない地域に出向き医療活動をする団体。去年発生したエボラ熱の第一線で活躍していた団体でもある。医師団ではフィールド人事部といって実際に現地に行く医療従事者やアドミニストレーターやロジスティシャンなどプロ中のプロをリクルートする部署にいた。もちろんそこでも将来こんな人になりたい!と思えるロールモデルのような人にも出会えたり、エボラ熱が発生してまず最初に送り込まれたチームにいた日本人の先生とも会えたりした。幼い頃から医師団のことは知っていてこの団体と仕事をするのが夢だった。もちろんまだ夢の第一歩を踏めたぐらいでまだまだ先は長いのだが、多くの出会いがあり、発見がありますますこの夢が強まった夏だった。

私生活では私のベストフレンドと東京で何度も会えたり、日本に住んでいた頃の友達とも会えた。大人になってから話の内容もちょっとずつ変わってきた気がする。前は恋愛話だったり、学校のうわさ話、人の悪口を言っていたのだが、今は将来なにしたいとか、今興味のあることなんかについて話す。友人を通して多くの人との出会いがあったり、大学生だけどすごいいろいろと活動をしていて日本で活躍している人たちとも出会えた。

そしてSakieと出会ったのもずーっと前のように感じるが実際4ヶ月ちょっと前。当時二人が働いていたベンチャー企業で出会った。正直第一印象は「この人イケイケだな」だった 笑。これは決して悪い意味でではない。あんまり日本人っぽくないタイトなキャミソールのようなものを着ていた気がする。ボディーラインバンバン出してるし、鼻にピアスしてるし、肌焼けてるし。でも多分ここでビビッと来たのかもしれない。ちょっと日本語で自己紹介してお互いアメリカの大学生ということを知った瞬間英語にSwitch. 完全に意気投合。9月末にいろいろとあってよく連絡は取り合っていたのだが、なんかブログ書こうよ!と話し合って始まったこのブログ。先日彼女とラインでちょっとメッセージの送り合いをして、このブログはお互いが仕事についてからもやってたいよねと話していた。今は「学生」という仕事をお互いがしている。でも将来的に彼女のUNOさと私のSANOさが今まで以上に引き立つ職につくのではないかと思う。そうなってからも書き続けたいなと願っている。

もう一つ私は今年大切な人を亡くした。4月に祖母を亡くした。彼女は私にとって親のような存在だった。6歳の時に祖父を亡くしたのだが、この時は幼いながらすごく辛く悲しく寂しかった覚えがある。もちろん当時6歳の私、「死」とはなにかまだほとんど分かっていなかったが、大好きなおじいちゃんがもういなくなってしまった。その後ほとんど毎年おばあちゃんの住む大分に足を運んだ。タイに引っ越してからも、大学生になりアメリカに移住してからも毎年会いにいった。月に一回は手紙を書いて出したりとメールやラインのやり取りが出来ないおばあちゃんとなるべく繋がっていられるようにと私なりにも努力をしていた。毎年おばあちゃんの家を出る時は「もしかしたらこれが最後かも・・・」と最悪の状況を想像していた。でもどこかでその不安をかき消そうとしている自分もいた。3月末から体調がどんどん悪くなりもしかしたら夏が終わるまでもたないかもと言われていたが本当にそれが現実となってしまった。大切な人を亡くす以上に悲しいことはないかもしれない。私はないと思う。今でも私はどこか祖父と祖母の死を受け入れられていない。頭では「もう彼らの肉体は存在しない」と分かっている。でも心はそれをすんなり受け入れられるほど忠実ではない。時に寂しさがどっと押し寄せてくることもあるが、いつもどこかで見守っていてくれるあたたかみも感じる。もちろん悲しいが今私にできることは頭を高く掲げ、前に進むこと。私はそれを彼らと約束したし、私の心にある彼らの存在が私を強くしてくれている。

 

と、2015年は人間関係でたくさんのドラマがあった。新しい出会い、人脈が広がり、再開、そして死。一年振り返るとすごく長いようで短かった。でも人はやっぱり他の人と関係を求める動物。人間の「間」は「仲間」、「世間」の間だそう。私の周りにいる人達は私を叱ってくれ、強くしてくれ、助けてくれ、褒めてくれ、大切に思ってくれている。最初のほうで私は人間関係に恵まれていたと書いたが、その思いは今も変わらない。多くの人にありがとうと伝えたい年になった。そして、このいい人間関係が今後もずっと続きますようにと願いながら新年を迎える準備を始めたいと思う。

Published by Sano/Ami

Aspiring doctor || Biology major || pasta-phanatic

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