私が通っていたインターナショナルスクールでは毎年6月の終業式に優れた学生に賞状が渡されるセレモニーがあった。一学年につき一人。勉強系の賞もあったり、アート系の物、スポーツ系といろいろな部門があり大体10人ぐらいの学生に贈られていた。
私はこのインターに通いだした中学3年生から高校卒業までの4年間毎年Global Citizen賞というのをもらっていた。でも正直Global Citizenが何なのかもわからず、「ありがとうございます」ともらっていた。
Global Citizenとは海外で生活していく人のことなのか?
Global Citizenとは2ヶ国語以上喋る人このこと?
Global Citizenとは世界で活躍していく人なのか?
辞書でGlobal Citizenと引いてみると「地球市民」と出てくる。地球市民ってなんだ?!みんなこの地球上にいる人は地球市民じゃんかと思っていた。
でも今年になってやっとこの言葉の意味が分かってきたと思う。
一言では説明がつかないこの言葉。でもGlobal Citizenとは自分の母国に留まらず、世界に視野を向けて奮闘している人のことを言うのだと思う。しかも世界に視野を向けるというのはただ「海外で生活したい」、「留学したい」、「世界を飛び回る職に付きたい」と夢見ることではない。今何がどこで起こっているのか、そしてオープンマインドに物事を理解することがGlobal Citizenに求められることなのではないかと思う。
正直海外生活が長くなると自分のアイデンティティというものが見えなくなる。大学受験の時に自分のアイデンティティについて小論文を書かねくてはいけなかった。もちろん私は悩みに悩んだ。
まだ自分のアイデンティティは見つかっていない。もしかしたら一生見つからないのかもしれない。もしかしたら、アイデンティティを見つけるために私は毎日生きているのかもしれない。でも今年は私のアイデンティティの一つであるGlobal Citizenの意味が少しクリアになった。
なぜ今年このGlobal Citizenという言葉の意味が分かってきたのか・・・それは多分いろいろと経験を積み、学び、成長できたからだと思う。
前回のポストで人の繋がりについて書いたが、これもまさにGlobal Citizenとしての成長につながっている。
後は、今年大学でとっていた授業もすごい影響していると思う。特に今学期は哲学をとっていていろいろと当たり前のことについて考えさせられる。昔から父が哲学が好きでよく本を買ってきてくれていた。でも興味がわかず読んでもなにが言いたいのか分からない!と勉強しようとも思わなかったが、今学期は哲学の面白さを学べた。将来時間ができたら是非哲学を大学で勉強したいとも思う。
他にもイスラム教の授業をとっている。今イスラム国やボコ・ハラムのような過激派組織によってのテロが各地で発生している。そんなテロというのに興味がありそこからはいったイスラムも学べば学ぶほど奥が深く面白い。メディアで描かれているイスラムのイメージがどれだけ歪んだものなのかということがよりよく分かるようになる。
もちろんこれらの授業をとったからGlobal Citizenになれているわけではない。でもこれらの授業をとることによって「考える」ということを学んだ。考えるというのはただ頭を抱えて考えるのではなく、いろいろな視点から物事をみるという考え。誰でも頭を悩ますことは出来ると思うが、いろいろな視点から物事をみるのはそう簡単ではない。私もまだまだ未熟だが、少しは広い視野をもって物事を考えられるようになったのかなと思う。
私の今年の目標は新聞を読むこと。とは言え何もかもがデジタル化している今毎朝紙の新聞を手にすることは難しい。だから私は基本いろいろなニュースを同時にみれるアプリを使って読むことにした。毎日は無理だったが、頻繁にニュースをチェックしているので世界情勢も一応頭に入っている。これも多分Global Citizenとして大切なことだろうと思う。自分の地域でのニュースだけでなく、世界でなにが起こっているのかを知っておく。もしかしたらこれは当たり前!という人がいるかもしれないが、実際大学生でニュースをチェックしている人は少ないことに気づいた。
もう少ししたら私ももっと胸を張って「Global Citizenです!」といえるのかもしれない。でももう少し経験を積みたい。
そんなこんなで2015年も残すところ後3週間。びっくりするほど今年は時間がすぎるのが早かった。でもまだ3週間ある。この3週間を使ってなにをしようか。
まずは小論文と試験を終わらせなきゃなにも始まらない!