「最後」という言葉には涙一粒分の寂しさと大きなジャンプ5つ分の喜びが含まれている気がする。
手が届きそうででもすごく遠い「最後」。どれだけ手を伸ばしても届かない。でも気がつけば知らないあいだに通り過ぎていたりもする。
今実際に私がこの立場にいる。全部で3つあった期末試験も後残すところ一つ。その他には小論文の提出も残っている。明日の今頃には終わっている。すべて終わってもうなにも焦ることもなく、優雅に映画を見たり、引っ越しの荷造りをしたりしている。
でも近くて遠い明日の今頃。早く明日になれ!と喚いている自分もいるのだが一方で冷静に復習に専念しようとしている自分もいる。
そんなジレンマで自分を見失ってしまいそうだ。
今日は私の中で3年以上続いた普通の生活が終わってしまう。朝自分のアパートのベッドで起き、朝ごはんを食べて学校に向かう。校内に住んでいるので学校に向かうと言っても15分程度歩くだけで目的地にはつける。3年半住み続けたこの学校との生活が終わってしまう。期末試験も今回で7回目。もう夜な夜な勉強に追われる事もなくなる。
まさに今日は『最後』の日。
小さい頃から「最後」が嫌いだった。
おばあちゃんの家にいれる「最後」の日は考えるだけで涙が出てくるぐらい嫌いだった。
家族といれる「最後」の日はなるべく最後ということを考えないようにしていた。
負けず嫌いだから「最後」が何よりも苦手。
でも今「最後」に対しての考えがだんだん変わってきたのかもしれない。
今私がたっているこの「最後」という日、楽しみでいっぱいだ。もっとフィクション的な言い方でいうと「アドベンチャーが始まる前日」だから。
それと同時に少し寂しいような悲しいような・・・絶対に寂しいなんて思わない!と思っていたのにやっぱり本当に最後となると寂しくなる。
でもとりあえず今は最後の試験の勉強と小論文を完成させなければいけない。
また冬休みになったらもっとゆっくりとブログを書こうと思う