Sanoとサンフランシスコとピットブル

つい先月末、仕事でサンフランシスコに行った。
アメリカでの国内移動は乗り継ぎが多くて大変。特に私が住んでいる町は小さいのでどこに飛ぶにせよ基本的に乗り継ぎがある。

ラッキーなことに今回は一回しか乗継がなかった。Thank god!

金曜日に一日参加しなければいけないイベントがあったので木曜日から金曜日になる深夜にサンフランシスコ入り。
暗い中思っていたよりもしょぼいサンフランシスコ国際空港の中をうろうろ。サンフランシスコの中心部までつながっているメトロに乗りたいのに乗り場がわからない・・・
適当にぶらぶら歩いていると偶然駅の標識が!ラッキー。

って到着ゲートから空港のシャトルで駅まで行かなきゃいけないらしい。

結局ホテルの最寄駅に着いたのは朝の12時半。Powell Stationという駅で降りたのだが、絶対に女の子は暗くなってから一人でぶらついたらだめ!ということに改札を出てすぐ気づいた。

まず、警察官が2人体制で駅にいる・・・もちろん腰には拳銃が。

(そんな危ないのかい!)と心の中で突っ込みながら、仕事先の上司と駅で待ち合わせ。

相手の到着までちょっと改札を出て待っていると太った黒人のおばさんがピットブルを連れてうろうろしている。
何より目を引かれたのはおばさんじゃなくて、ピットブルの首周りにぐるぐると巻かれていたぶっといチェーン。
(え・・・そんなに凶暴なの?)とビビリつつ遠くから見ていると全然おとなしいじゃんか。チェーンは怖さを引き立たせる小道具?!

正直ピットブルから目が離せなかった。でもおばさんは普通にメトロのチケットを買いピットブルと一緒に改札口の向こう側に消えていった。

(はーーー。怖かった!)

ってサンフランシスコの電車は犬連れて乗っていいんかい!と気づいたのは上司が到着してから。

初日からすでに不思議なものを見てしまった。サンフランシスコよ・・・この先が楽しみでしょうがない!!

Unoと夏と小麦肌

今年の夏、日本に一時帰国をして一番感じたことはというと「自分に自信がついた」ということ。

まあ、元から目立ちたがり屋だったから、自分に自信がなかったかというとそういうわけではなかったんだけどね(笑)

「自信」=「自分を信じる」
まさにこの通りだと私は思うの。

私の生き方、日本人からしたら型にはまってなさすぎて、「どこでなにしてんの?」って大抵聞かれるんだけど、今回の一時帰国のおかげでこのまま「自分を信じて」やるべきことをやっていていいんだと再度気付かされた。

今年の夏、ここまで長期でステイできたのは渡米以来の3年ぶり。アメリカでの最後の1年間デジタルマーケティングの仕事をしていて、その経験を活かせる+ずっと携わりたかったファッション業界+グローバルな環境で絶対に働いてやるという意気込みで帰国。今このタイミングでファッションの仕事にどうしても関わりたくて、どんなものか経験してみたかったの。帰国してから職探しをしたものの、運よく1週間で2つの会社からオファーがかかり文字通りとんとん拍子で働くことに。

肩書きはインターン。とはいっても、1年間の社会経験とアメリカで更に磨きがかかった自己主張力で(笑)Eメールマーケティングをほとんどやらせてもらっていたり、アプリ開発前のSNS発信等、マーケティングについて更に深く学べ経験ができる良い機会に。

アメリカでは強みではない私のへなちょこ英語力も日本では強みになり、アメリカで鍛えられたクリエイティブ力のおかげで様々なアイディアを出すことができ、自分の意見に自信がなくなかなか主張できなかったのも克服し、3年間のアメリカ生活で散々苦しめられた意味を見いだせてとてもほっとしたのが正直なところ。

この夏を通して感じたことは、自信って本当に大切。根拠のない自信ではなくて、経験から得る自信。そして自信がある人はとても魅力的で格好いい。

このたった2ヵ月半の間で、今後一生の付き合いになるだろう素敵な出会いもいくつかあった。Sanoのアミーもその一人。出会ったのは確か8月半ば、二人ともアメリカ帰国寸前で出会った瞬間から始まった弾丸トークが忘れられない。年齢、バックグラウンド、住む場所、一緒に過ごした期間、そんなのは全く関係なく、フィーリングやパッションが大切なんだと気づかされた。そんな出会いをさせてくれたLAPIECESに感謝。

現在はこの夏に働いていた2つの会社では働いていないけれども、この会社を通して出会えた会社でボストンからリモート勤務中。私のことを信じてくれて働かせてもらっている限り、私も結果を出さないとと燃えている真っ最中。学校もダンスととっても忙しいけれども、この夏に得た経験がこう次に繋がっていることを身をもって実感している。

私の大好きな夏ももう終わってしまい、週末が明けるたびにどんどん黒くなっていた私の肌も、だんだん明るくなってきた。

自信といえば、ボディも同じ。鍛え抜かれた体を一度持てば自信につながり、lazyで運動をしていないと自信がなくなり罪悪感を感じる。

夏も、日本も、私の小麦肌も恋しい。

それでも私はアメリカというフィールドで経験を積む、自分に磨きをかけたいから。

Sanoと夏とアイスクリーム

2015年の夏は今までで一番思い出深く、学びの多かった夏だった。

What did I do? なにをしたかって?

まずは親が住むタイに一時帰国。半年振りのタイ。おいしい料理を食べて親と話して、弟とはしゃいでこのいつもとちがう毎日が普通に感じる。
なにもしないことが苦痛な私。夏休みに入ってすぐに北タイにあるミャンマーからの難民が住む町の診療所にボランティアをしにいくことに。
何もかもがミニマムな生活。シャワーはない。電気もない。携帯の電波もいまいち。
でもここに行くことによってどれだけ自分が恵まれているのかに再度気づかされた。
このことについてはまた別に記事を書こうと思う。

タイのあとは日本に移動。
日本では10週間NGO団体の「国境なき医師団」でインターンをした。
国境なき医師団とは医療・人道支援のNGO。最近はシエラレオネやギニアで流行したエボラの支援活動でメディアでも注目されている。
ずっと小さいころから憧れていた団体でのインターン。昔から国境なき医師団で医師として働きたいと思っていた。
でもインターネットで得られる情報と、実際に内部にいて見える世界はぜんぜん違った。ただ憧れではじめたインターンも終わるころには「憧れ」が「目標」に変わっていた。だから今も将来は国境なき医師団で医師として働きたい。
今まではスクリーン越しで見ていた、実際にフィールドで活躍している医師や看護師の方とも話をさせてもらいこの仕事がどれだけ大変で、でもやりがいのある仕事なのかを聞くことができた。

この他にも夏の終わりには日本のLAPIECESというベンチャー/スタートアップとの出会いがあり、一緒に働くことになった。自分の得意分野とは全く違う世界だけれどすごく刺激的だ。

バディーのSakieと出会ったのも夏の終わり。多くの出会いがあり、学びがあった夏。いろいろな体験をして毎日違ったことをしていた私が一つだけほぼ毎日欠かさずしていたこと・・・それは大好物のアイスを食べること。

こんなそんなで長いようで短かった夏も終わりを迎え、気がつけばもう10月。
つい最近2015年が始まったように感じるのは私だけ?
でも毎日たくさんやることがあって忙しくしているのが一番!
仕事と学校ですでにやることが多いのに更にブログまで始める自分。
人生楽しんだもんだ勝ち。今の自分人生をマックスに楽しんでいる気がする。

もちろん今でも一日一個のアイスは欠かせない。

Turning Point is just beginning…

「いつからそんなにアメリカかぶれになったの?」

こんな質問をよく聞かれる。

私は正真正銘、日本生まれ日本育ち、純ジャパニーズ。両親だって英語を話せないし家族旅行で海外なんて行ったことなかった。義務教育、公立の高校、大学受験、大学生と本当に典型的な日本の学生を送っていた。大学1年生の12月までは。

人生のターニングポイントは?と聞かれたら間違いなく大学1年生のサークルでの選挙日のことを思い出す。

大学1年生、当時18歳。海外への憧れはとても強く、大学合格が決まって最初にしたことはパスポート作り。「発展途上国の政治を変えて国の根本からサポートしたい」という想いから、法学部法律学科へ入学。ボランティアサークルに入るんだと意気込んだオリエンテーション。NPO学生法人のミャンマーとベトナムの教育支援をしているサークルに入った。

その中でも、一番面白そうで私にあってそうなビジネスチームという「ミャンマー/ベトナムの現地の商品やオーダーメイドをした雑貨等を日本で販売し、その利益をお金ではなく物(パソコンや、筆記用具、スポーツ用品)で還元する」というチームに入ることに。簡単に言うと、現地に1ヵ月、年に2回買い付けに行くチーム。日本ではグローバルフェスタ等のイベント、学祭、学校付近のローカルイベントで販売をした。委託してもらっているお店とのコミュニケーションをとったり、オンラインサイトも少しだけしていた。これらの売れ行きを分析して、何を買い付けるかを決めたり、いくつかバイヤーオリジナル商品を現地で買ったり、在庫が有り余っている商品を現地でリメイクしてもらったり、日本で流行っているワンピースをサンプルに現地で布を選んでオーダーメイドで作ってもらったりと、今思い返してみても学生団体ながら面白いことをしていたなあと思う。

私はとても生意気な新入生で(今でも変わってないけど)、夏休み毎日朝から晩まである意味不明なミーティングにそんなに出る必要がないと週2回くらいしか行かなかったり、たまに出たはいいけど自分の意見を言いまくって議論する、そんな1年生。あ、でも現地でソーラン節を披露するためにみんなに教えてフォーメーションを考える係だったからそれだけはちゃんとしてたけど笑 こんな仲がギクシャクしていてこのチーム大丈夫かと心配していたミャンマービジネスチームも、一ヵ月も現地で共に過ごすので結束が固まり仲良く帰国したことは言うまでもない。

事前報告会 → 現地 → 事後報告会 と、3か月に渡る大イベントを終えて次にやってくるのが選挙。ビジネスチーム前リーダーが2年生ということもあり次のリーダーは私たち1年生の代から出した方がいいのはということと、誰も候補者がいなさそうだったので、私が立候補。現地活動を終えて、とてもモチベーションに満ちていたので私の中では自然の流れだった。選挙立候補者が発表されたその日、私はとても衝撃を受けた。もう一人候補者がいたのだ。発表されたすぐ直後にその子から気まずそうに連絡が入ったのを覚えている。

私たちはとても対照的で、オンラインサイトの活性化、新委託店舗の開拓をしたいというのを強く推していた改革派。その子は現段階の委託店舗との関係性を深めたい、在庫管理や売れ行きを見直すという保守派。

結果は、保守派の勝利。

私は自信があったし、「ビジネスをよくするには私が思ってることしなくてどうするの?」という想いで選挙に挑んだので、この結果に本当に落ち込んだ。救いはサークル担当の元JETRO職員の教授が選挙の後で、「君の意見に賛成だ。こういう人がリーダーにならないからこの団体はだめになるんだ」と言ってくれたこと。

この選挙の結果が、私のその後の将来を考え直すいいきっかけに。昔から留学をしたかった私。サークル自体はとてもいい経験になったけれども、大学の授業に面白みを感じなかったし、大学生飲みが好きじゃなかったしでこのまま日本にいていいのかという思いがだんだんと強くなり、選挙数週間後に留学を決意。留学会社へも一人で説明をすぐ聞きにいった。両親には、「自分の将来を今探すために留学をしたい、このまま大学にだらだら行きたくない、金の無駄!」と説得。もちろんお母さんと喧嘩もしたし、たいして英語を話せなかった私に色々な人からの意見が突き刺さったけど、休学するのはお金がかかるけど、退学は無料だから!復学は2年以内ならできるから、という理由で1年修了時に退学。晴れて6月にカナダのトロントに9ヵ月の語学留学をすることになる。。

That’s how my adventure life has began.

当時はあれだけ力になりたかったこのサークルから身を引くことに罪悪感を感じたし、あともう1年は残ろうとも考えたりもしたけれども、あの瞬間で早めに決断をしてよかったと思う。こう振り返ってみて当時の根本的な考え方が変わっていないことに安心し、この大学1年間でやっていたことが現在の仕事に関連していて、全て繋がっていたんだなあと感じる。

これが、まぎれもなく私のターニングポイント。


初めまして、みなさんunoのサキーです。英語だとSakieをサキーと読むのでサキー。

昔から何か自分自身を表現できる事がしたいなあって。何事も身の回りの小さいことから始まるもので、それすら始めなかったら、大きな夢なんか一生叶わない。今更自分の事隠して生きて行くのも馬鹿らしいし、普通の人に比べたら結構面白い生き方してきたと思うから。ちょっと日本語下手くそなんだけど、このページを通して色々な人に会えますように。

今回、この夏に偶然の巡りあわせで出会えたアミーと一緒にこの場でアウトプットするのは本当に自然な流れだった。

「unoとsanoの足あと」まだまだ初日。これからもっと面白い事書いていくのでよろしくね。

Peace Out! Live, Laugh, Love

回復力がターニングポイントの決め手

ターニングポイント。人生の変わり目。転換期。

ターニングポイントはいい方向に行く人生の変わり目と悪い方向にいく変わり目に分けられる。
でも私にとってターニングポイントとはいい方向に向かうこと。最初は悪い方向に向かっているように見えても最後は必ずいい方向に向かうのがターニングポイント。

たとえるとすごい霧の中急な山を登っている。目の前も見えないし、自分が進んでいる道の状態もわからない。たまにはあきらめて下山しようと思うのだけれどもあきらめず登り続ける。でも山の頂上につくと絶景が見える。
私のターニングポイントの始まりは上のたとえと同じように目の前が見えなくなったり、不安になったり、あきらめたいと思う。でも諦めが悪いのか引き返すぐらいだったら突き詰めてやる!と前に進み続ける。するといつの間にかネガティブな考えよりもたくさんの学びがあることに気がつく。

私にとってターニングポイントには2種類ある。
一つは「自らが作り出すターニングポイント」
もう一つは「気づいたら人生がかわっていたターニングポイント」

自らが作り出すターニングポイントとは、人生の中で何度か迎える大切な時期に自分の立ち位置を見直し進む方向を調整すること。
例えば今私は大学4年生を迎えてこのターニングポイントの真っ只中にいる。卒業後どうしようか?就職する?修士号をとる?どこに住もうか?と自分の今後のことを常に考えている。
ここで何を選ぶにせよ来年の今頃、自分の選択を振り返ってみるとひとつのターニングポイントになっているだろう。

もう一つのは自分のコントロールがきかないターニングポイント。
最中は気づかないが、後になって振り返るとその出来事があったから人生がガラリと変わっている。
今回はこのターニングポイントについて書こうと思う。

私の22年の人生を振り返った時に一番にパッと思いつくのが12歳のときに経験したタイへの移住。
親の仕事の関係でなにもわからないタイに移住した。
そこでまず体験したのはコミュニケーションと文化の壁。
誰ともコミュニケーションがうまくとれないほどつらいことはないと思う。
元々内気な性格だった私は自ら進んで喋るということが得意ではなかった。
もちろん家に帰れば家族と話せたが日中は孤独だった。
必死で勉強したかいがありこの孤独から抜け出せた。

今振り返ると私の人生で一二を争う辛さだったと思う。
当初は友達もいなく、言葉もしゃべれない。反抗期の娘と親の関係もギクシャク。
でもこの経験から私は何を学んだのか、改めて考え直してたどり着いたのは「回復力」。
どん底からどう立ち直るか、回復力がターニングポイントのキーだと思う。

もちろん最中はマイナスな考えしかない。辛い。やめたい。もういやだ。
でもこれを越えたからこそたくさんの学びがあった。自分の強さ。諦めないこと。努力すればなんでもできること。そして、必ず立ち上がること。

この「回復力」は誰でも手にすることができる。でもそれには失敗する勇気と、チャレンジに立ち向かうやる気が必要。最初は失敗するのが怖かった。英語をしゃべって間違えるのがいやだった。言いたいことがうまくいえずバカだと思われるのが怖かった。でもここでアクションを起こさないと何も変わらないと気づき「失敗しても別にいいや」と思うようになった。
すると自然とどんどんしゃべろうと思うようになる。間違ってもいいからまずは自分から何かアクションを起こさないとリアクションはもらえない。使ったことのないフレーズを使ってみたり、新しく覚えた単語を使ってみたり、自分なりに新しいことにチャレンジした。

この経験があったから今の自分がいる。この経験なしの自分を想像することができない。まさに私にとってのターニングポイントだった。

この経験があったからこそ、今はなんにでもチャレンジしたいと思う。もちろん今でも失敗は怖い。でも失敗から学ぶことのほうが多く、怖がってなにもしないよりはアクションを起こして失敗するほうがいいと思うようになった。

常に刺激を求めて、新しいことにチャレンジしたいという思いがSakieの考えと重なり今回はブログというカタチで私たちの考えをアウトプットしていこうという結果にいたった。この選択ももしかしたら私のターニングポイントになるかもしれない。

さて、あなたにとってのターニングポイントとは何だろう?