【UNO】江戸っ子おじいちゃん

実は今回の日本一時帰国の本当の目的は、おじいちゃんの一周忌。

短期でとても江戸っ子っぽい気質のおじいちゃんだが、実は千葉県館山出身。

酒飲みで、日本酒を永遠に飲み続けるおじいちゃん。晩御飯は、お豆腐一丁に日本酒のみ。あまり食べている姿をみたことがない。笑

若い頃の写真を見ても、どんなところにも背広(スーツとは言わないところがおじいちゃんらしくて好き)を来て、サングラスをかけてでかける。
  

これがトレードマーク。

でも、よく考えると正直かなり怖い。

ヤクザに間違われるような、身なり、そして中身も。

お母さんがまだ若い頃は、喧嘩することなんて よくあったそう。


そんなおじいちゃんに癌が見つかったのは、2年ほど前。食道癌だった。

強がりだったので、結構深刻な状況になるまで「痛い」とは言わない。病院に行った頃には、症状が悪くなっていたので即手術。

私はアメリカにいるので、知らされたのはなんと手術前日。手術担当医師から、成功するかしないかは半分半分だと言われたので、私に連絡があった。

遠くにいるので心配かけないようにという家族の心遣いなのだが、そのことを聞いた時は泣いた。

手術直前のおじいちゃんと話してあげてといわれ、電話をした。

こういうときが一番家族の近くに居ないことに後悔をする。

手術中の時間は、決しておじいちゃんのすぐそばにはいないけれども気が気ではなく、おじいちゃんの無事を祈る。

そして、お母さんから無事に成功したとの連絡。

さすが、ちょっとのちょっとのことで大事に至らない、根性のある人だからこその結果。

それからはリハビリや通院をしたものの、退院。

夏に、一時帰国をし快気祝いなどをして、おじいちゃんちに何度か遊びに行った。

その頃は割りと元気でピンピンしていたのだ。


翌年11月。

お母さんから、「おじいちゃんが危ないから日本いつ帰ってこれる?」との連絡。

いつも聞かされるときは、その過程ではなく結果。

そんな大変な状況になっているとも知らず、アメリカで自分中心に物事を考えて生活をしていたので、かなり驚いた。

手術後あと数ヶ月しか持たないと言われていたおじいちゃんだが、かなり持った方。あのときの記憶が怒涛すぎて、正直はっきり覚えていない。

当時、私はアメリカの会社で働いていて1年目。もちろん急な休みなんか取れない。

休みが取れない中日本に帰ってきてと言われ、どうしていいかわからなかった。

クリスマス前なら、クリスマスを合わせると1週間ほどの長い休みになりそうなので、そこで行くということで話を進めてみようと、とりあえず、マネージャーに話してみた。

私のマネージャーはとても優しく、その人自身がおじいちゃんの最期を見届けられなかったから行ってきなさいとのこと。

そこからすぐにチケットを取った。

家ではほとんど食べなくなったため、心配したのもあり入院をし、あと数週間と言われていたはずなのに、病院の食事をきちんと食べるように言われ、その通り食べているとなぜか元気に戻ったのだ。笑

なのでまた退院をし、少し経った頃に私が帰国。

昔よりは断然弱っているものの、まだまだ元気だなあと思っていたのだが、また食べなくなってきて心配なので入院をさせた。

私がいた1週間くらいのうち、半分はおじいちゃんの家、半分は病院。毎日通っておじいちゃんの顔をみに行った。

おじいちゃんがいる家に早絵をこさせたかったんだね、だからまだ入院しなかったのかも、なんて言われたりした。

誰しもが、今回もまたすぐに退院するだろうと思っていた。

今回大事には至らなかったけれども、これがおじいちゃんに会う最期の時だという重い気持ちで私はアメリカに帰国。

一応毎日連絡をとっていた。

ところが2週間経ったころ、お母さんに「あと2、3日って言われたから明日にでも来て!」とまた連絡があった。

「え、2、3日!???こないだまでピンピンしてたじゃん!」

この間行ったばっかりだし、休みも残っていない。絶対会社休めない!と言ったが、やっぱり最期までそばにいて欲しいとの頃。

おじいちゃんには、かなり可愛いがってもらっていたので、おじいちゃん孝行しろと。かなり悩んだし、その週末に向かったところで間に合う保証はあまりない。

それでもお母さんに来るように強く頼まれたので、日本に帰ることにした。

そのことを、もう一度恐る恐るマネージャーに言うと、快く受け止めてくれた。家族のことは大切にしなさいとのこと。こういう状況になった時に、他の会社は/日本はどうするかというのを考えた瞬間だった。

その日は金曜日。会社で急いで次の日のチケットを取り、家に帰って荷造りをして、その次の日に飛行機に飛び乗った。

地球の反対側の国へ行くチケットも、取ろうと思えば前日に取ることができるんだなあと思った瞬間でもあった。

羽田空港に降り立って、誰も迎えに来るはずもなく、そのままスーツケースを持っておじいちゃんのいる病室に直行。

まだ間に合った!!!!

それになんだかおじいちゃんの様子が今日はとってもいい。いつもは笑ったりしないのにとってもニコニコして、私を待っていてくれたかのよう。

私がいる間は、またもや状態がよくなった。

それに、こんな死に際にもなっても性格なんて変わることなく、

ナースコールを押してもなかなかこない看護師さんに向かって

「ぶっとばしてやる!」

というし。

酸素マスクもちゃんとみてないとすぐとっちゃうし。。。

おじいちゃんも陸上選手だったので、夢でリレーをしていて

「タッチ、タッチ!」

と、タッチをするまで止まらない感じ。

相変わらず人騒がせなおじいちゃんもなんだか微笑ましくみえた。

あと2,3日だと言われてから5日以上経っているおじいちゃん。ここまで生き延びる様はさすがだと感心させれらた。

それが帰国前日。少し体調が悪くなり、明らかに弱っているのがわかるくらいに。このままアメリカに帰るのも正直気が気ではなく迷っていた。

帰国当日。お昼過ぎから状態が激変。もうそろそろだな、とさすがの私もわかるほどに。

帰国日を伸ばそうと、アメリカの会社にもこっちから連絡をして状況を話すと、理解をしてくれた。

ただでさえ、二回も休みをいただいて、今回は合計1週間以上もいただいているので、本当に感謝してもしきれはい。

そしておじいちゃんは2015年1月15日20時に82歳で息を引き取った。

ちょうど成人式の三連休で、長く居れるだけのスケジュールのフライトをとった。すると偶然、葬儀場の空いている日などで予定を組んだら、お通夜からお葬式まで全て私のいる間に終わるスケジュールになった。火葬場なんか、私のフライト日の朝7:30。親戚一同声をそろえて、こんな朝早いの聞いたことない、きっとSakieに合わせてくれたんだね、なんて言っていた。

無事に全て出席し、そのまま急いで飛行機に飛び乗った。

ボストンに戻り、帰国をすると私の机の上にみんなからメッセージの入ったカードが置いてあった。

ただでさえ感情的になっていて、でも仕事休んじゃったし悪いなあと思っている時にこのカードを見たので、オフィスで泣きそうになった。

海外に住むと、家族の近くに居れないし大切な時に駆けつけて上げれない時もたくさんある。

でも同じ国に住んでいても、なかなか親戚に会いに行かない人もいるし、

こうやって、違う国にいても次の日には飛行機に飛び乗ることもできなくはない。

一周忌は絶対日本に帰ってきて出席すると心に決めていたので、今回それを達成することができて本当によかった。

一周忌の親戚との場でも、どれだけおじいちゃんが短期で喧嘩っぱやかったかを笑いながら話す瞬間が結構好きだったりして。

日本にいる皆さんは、ちゃんとおじいちゃんおばあちゃんに会いに行くことをおすすめするし

海外に住んでいる人は、手紙を書いたり電話をすることをおすすめする。

結局、距離は関係ないんじゃないかと思う。

Published by Uno / Sakie

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